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第88師団(だいはちじゅうはちしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。本稿では、前身の樺太混成旅団についても述べる。 ==沿革== 1913年以降、南樺太には日本軍は常駐しない状態が続いていたが、ソビエト連邦との軍事的緊張が高まる中、1939年5月23日に南樺太の上敷香に樺太混成旅団が新設された。第7師団から抽出された歩兵1個大隊(樺太歩兵第1大隊)と砲兵1個中隊(樺太山砲兵連隊第1中隊)が基幹戦力だった。翌1940年末には歩兵第25連隊が札幌から移駐して、樺太歩兵第1大隊を吸収した。関東軍特種演習に動員されて大幅な増強が行われ、旅団の兵力12,000人に達した。1943年5月には歩兵第125連隊も気屯に移駐して隷下に入り、旅団は2個歩兵連隊と樺太山砲兵連隊を基幹とする編制定員約15,700名となった。なお、同年11月には、対米戦のため、豊原市を中心とした南部の防衛を任務とする第30警備隊が、旅団と別に新設されている。 1945年2月、本土決戦に備えて樺太にも師団の設置が図られ、樺太混成旅団を基幹に、歩兵第306連隊(第30警備隊改編)と迫撃砲1個大隊を加えて、第88師団が編成された。師団は第5方面軍に編入された。師団長には樺太混成旅団長の峯木十一郎中将が、そのまま着任した。第88師団の担当は真縫久春内線の区域であった。 5月、ドイツ敗戦に伴い赤軍が極東に兵力を増強し始めた。このことを察知した第88師団は、第5方面軍に対して対ソ連の樺太防衛のための指導を求めたが得ることができなかった。 8月3日午後、第五方面軍より、ソ連軍が越境した場合対戦する旨の命令受領。 8月6日、7日、各連隊長等を集めて会合。 同年8月9日、国境近くの敷香町武意加の国境警察に加えられたソ連軍の砲撃により戦闘が始まった。8月15日までは歩兵第125連隊の抵抗により陣地を死守した。同月20日には真岡にもソ連軍が上陸して新たな戦闘が始まった。終戦の日を迎え、既に召集解除を行った部隊もあり、一方的な戦闘に終始した。ソ連軍は8月22日に停戦交渉が成立するまで戦闘を続けたため、第88師団は自衛戦闘を続けざるを得なかった。真岡の戦闘では、停戦のための軍使がソ連軍に射殺されるという異常事態の中、将兵100名以上、邦人500名以上が犠牲となった。(詳細は樺太の戦いを参照) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第88師団 (日本軍)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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